冷蔵庫から、オレンジジュースを出して、一気に飲み干したら、何故か「時計仕掛けのオレンジ」を思い出す。斬新な映画で、風刺を含めた近未来の暴力的な映画の印象や記憶ではなく、オレンジジュースを飲み干して、「時計仕掛けのオレンジ」のオレンジに視点が移る。
ブログのネタも思うがままが、真骨頂なので、否定はしない。村上龍の「限りなく透明に近いブルー」のブルーも気になるが、いまは、「時計仕掛けのオレンジ」のオレンジについて…。

時計仕掛けのオレンジについて

風刺映画なので、当然題名にも引っかけがある。オレンジは、原作者アンソニー・バージェスが一時(いっとき)暮らしていた、マレーシアの言語にある。マレーシア語では人間を「オラン(ORANG)」といい。すなわち、つなげると「時計仕掛けのオレンジ(ORANG(e))」は、「時計じかけの人間」

時計仕掛けの人間とは、突き詰めるところ、国家の奴隷ということになる。当然、オレンジという色、果実まで引っかけてる。

表現という意味では、「時計仕掛けのオレンジ」という言葉自体が、海外映画・ドラマの中で、暴力的な気分を表す場合に、何度か耳にしてる。映画の題名が、表現に使われるって凄いことだと沁沁とおもう。

原題は、A Clockwork Orange

時計じかけのオレンジ

時計じかけのオレンジ

この映画に使われている、場面・場面での使用曲は、映像とあいまると狂気的で、正直凡人の僕には、刺激が強すぎて、怖すぎです。

ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」や、エルガー「威風堂々」のオーケストラ曲、ジーン・ケリー「雨に歌えば」などなど。