J-WAVEを何気にかけているのですが、瀬戸内寂聴の今日の言葉に耳をとられた。『諸行無常』だ!説明していたが、バタバタしていてよくわからなかった。あたまで中学・高校?習ったな平家物語だと…。記憶では、祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響ありだけ、暗記した記憶だけで、意味がわからん…。と言うことでちょっと調べて見た。すると一緒に覚える方がよい言葉もありました『因縁』。なんか難しくて、怖いなんて思わないでくださいな。無信者ですが、大切な人が亡くなったりするとお坊さんの、言葉も身にしみて自分を成長させるときもありますよね。以下は、そんな感じで、時間が取れる方は一読してください。

諸行無常

茶碗などをあやまって割ってしまった時に便利な言葉、「形あるものは必ず壊れる」は、経験的にそういうものなんだなあと感じることができます。さらに茶碗や花瓶だけでなく、この世のすべてのものにもこの言葉はあてはまります。つまり、あらゆるものは生じそして滅するのです。このことわりを「諸行無常」といいます。私たち自身、動物や草木、私達の住むこの環境の世界はとどまることなく生まれ、やがて消えていくということの繰り返しです。どうしてこのようにこの世は無常なのでしょうか?

因縁

少し話がそれますが、「これも何かのご縁ですね」とか、「ご先祖様の因縁で・・・」などと耳にすることがよくありますね。「なんだかよく説明できないがつながりがある」というような意味で使われるようですが、「因縁」とはもともとはそんな摩訶不思議な現象のことではありません。この「因縁」という観念により諸行無常を理解してみましょう。
この世に存在するすべてのものは、因(直接的な原因)と縁(因がどのような方向にいくかがきまる条件)によって成り立っているといわれます。例えば、植物の種を蒔くことを考えてみましょう。種はやがて発芽し、成長して花を咲かせて実をつけることでしょう。この場合、発芽の直接原因(因)ですが、周りに十分な土、栄養、水分という条件(縁)があって初めて発芽するのです。その種を蒔いた人はやがてその実を収穫して食べることができるかもしれませんが、無事に実がなる為には、種を蒔くという直接的な原因だけでなく、まず種が発芽するという条件(縁)がなければなりません。そしてあらゆる縁があって実がなるのです。
このように、この世にあるものは、すべてお互いに因となったり縁となったりして成り立っています。すべては因と縁によるものですから、その因や縁が変われば必然的に滅するものもあり、また生ずるものもあるのです。この世のすべてが移ろい行くのは、すべての存在がつながりあい、支えあっているからなのです。

いつの時代であっても何事も、無なんでしょうけど、無になる前に因縁によって家族という形を作ったが、価値ある男になりたいものです。生活の中では学習は勿論の事、経験や体験を積んだり、乗り越えたりして自分を高めて、自分に価値をつけないと。

アインシュタインの「人の価値とはその人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」て言葉も私の心には響いてしまう。

「成功した人間になろうとするな。むしろ、価値のある人間になろうとせよ。」

OYGのぼやきですので…。

因縁の関連する言葉として、因果応報とは